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死ぬほどセックスしたい女はダメなのか|ヘイケイ日記~女たちのカウントダウン|花房観音 - gentosha.jp

前回、黒歴史と処女喪失の話を書いたけれど、しょっちゅう聞かれるのが、「なんで処女喪失をするために60万円も払うの??」だ。

「理解できない」「信じられない」と、よく言われる。

私とて、いくら容姿が悪くても若かったし、その男に執着せずとも、セックスの機会ぐらいはあると今になってはわかるのだけど、当時は周りが見えなかったのだとしか言いようがない。つまり、バカなのだ。

そして、そこまでしても私はセックスがしたかったし、この男を逃すと一生自分は処女だと思い込んでいた。

それだけセックスがしたかった。

セックスしたい女が生きづらい時代

 

今ならネットで女性向けのアダルトサイトもたくさん見られるし、昔と比べてオープンにセックスの話もできるようになった。何しろ、女性向けの官能小説やAV、風俗まである。今の若い人からしたら、当たり前に手に入り楽しめるものだろうけれど、私にとっては夢のような時代だ。

私が若い頃は、ポルノは男性の物だったし、自らの性欲を口にできるのも男性だけだった。本当は、女性だとて性欲はあるし、オナニーだってするけれど、そんなことを言うと頭がおかしいと思われそうだったし、「はしたない」ことだった。

特に私は田舎から出てきて、保守的な環境で育っていたから、女は初めてのセックスの相手と結婚するもんだと思い込んでいた。

周りの女性たちの「体験談」も、「彼氏がしたがるから、仕方なく」「なんで男の子って、あんなにしたがるんだろう、私はそうでもないのに」「私はしたくないけど、彼氏が頼むから彼の性器を口にしている」と、本音かどうかは別として、求めれるから与える、受け身な女たちが多かった。

ポルノではないけれど、少しばかり性的な内容の小説や漫画を読んでいるだけで、同世代の男の人に眉を顰められたこともあった。

だから私はAVを見ていることも、ずっと誰にも言えなかった。変態扱いされるのがわかっていたし、自分自身も「私はおかしい」と思っていた。

せめて処女でなくなれば

男の人の性欲は肯定されるどころか、ないのがおかしいとまで言われるのに、女は逆だ。

それほどまでに、男と女は違う生き物なのだろうか。

私にとって性欲はうしろめたいものだった。セックスしたくても男に求められず性の対象ではない自分は、ますます「自分は異常だ」と思い詰めて、せめて処女でなくなればこの苦しみは消えるかと、男の要求を受け入れ消費者金融で金を借りてまでセックスした。

それでもやっぱり侮蔑される

性愛を描く小説家になった今なら、セックスしたいという欲望も書けるし口にもできる。けれど嘲笑したり、侮蔑してくる人は絶えない。

「あんな小説を書いている人だから、どういう人かと怖がっていたんですが、会ってみると案外普通の人ですね」とよく言われるが、性を描く女は、鼻息荒く「男―! 私に男をくれー! やらせろー!」と手当たり次第男を漁るおかしな女だと思われてるようで、こっちがびっくりする。私は、当たり前の欲望しか書いていないのに。

それでも共感してくれる人がいるから、私はこうして小説を書き続けることができるのは、本当にありがたい。同時に私が長年、うしろめたさを抱えて苦しんだ自らの欲望が許された気になる。

反吐がでるまでやってみたい

ある小説の中のフレーズで、私の心を強くとらえて離さないものがある。

「自分が、若さを奪い取られつつあると感じるようになると、反対に、性愛に対する欲望と飢えが強まっていった。セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたいという、剥き出しの欲望から一瞬たりとも心を外らすことができない期間があった」

38歳でデビューして、1993年に52歳の若さで亡くなった森瑤子のデビュー作「情事」の有名な一文だ。

セックスを反吐が出るまでやりぬいてみたい。

――この飢餓感、この欲望、身体だけではなく猛烈な心の渇き――私のことだ、と思った。

当時、私はまだ若かったけれど、単純に男のように射精して出せば済むものではない、底なしのセックスへの欲望が言葉にされていることに感動し、震えた。

男性向けの官能小説なら、「反吐が出るまで」なんて表現はされない。

ここにあるのは、女の正直な言葉だった。

今だからこそ欲望に身を沈めたい

そしてまさに、今、「若さを奪い取られつつあると感じるようになる」年齢になって、あのときとは違う、もっと複雑で、もっと深く、もっと切実な欲望を感じるようにもなった。

若い頃のように、とにかくセックスしたいというものではなく、深い欲望に身を沈めたい、知りたい、それを描きたいという欲望だ。

私と同世代の女性は、「性欲がなくなった」「セックスなんてもうしたくない」と口にする人も少なくない。

私自身はどうかというと、性欲がなくなったわけではなく、形がかわった気がする。

だからこそ、慎重にもなるし、昔のように好奇心だけで突っ走れもしない。

と、こういうことを書けるようになったのも、ありがたい。

なんせ昔は、淫乱で性欲の強い女は、ポルノの中の生き物だったし、そこにある女の性欲は、男にとって都合のいいものに過ぎなかった。

本物の女の性欲を見せつけられたら、萎える男はいるだろう。

女は射精をしないので、果てがない。

つまりは底なしだ。

果てのない性欲を抱えて

団鬼六賞大賞を受賞してデビューしたとき、自分がいきなり性を描く世界の人間になったことで戸惑ったし、それがゆえに嫌なこともたくさんあって止めようと思ったこともあったけれど、今は男が目を背けるほどの「女の欲望」を描こうと思っている。

若くない女の、果てのない、飢えと渇きと底なしの快楽を。

(コロナ騒動で珍しく空いている
錦市場)
(八条口で食べただし巻き定食。
気づけばよくたまご料理を食べている)

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March 05, 2020 at 04:02AM
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