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「世界から核兵器をなくしたい」 旧ソ連書記長が手紙を送った相手は - 東京新聞


1983年7月、招待されたキャンプに参加するサマンサ=ARTEK提供

1983年7月、招待されたキャンプに参加するサマンサ=ARTEK提供

 「世界から核兵器をなくすよう提案したい」−。冷戦期、核戦争を恐れる米国人少女のためにソ連の最高指導者が手紙を綴(つづ)った。広島・長崎の原爆投下を踏まえ、小学生でも分かるよう説かれた核軍縮の考え方は今では途絶の危機にある。 (モスクワ・小柳悠志)

 戦後七十五年を迎え、ロシアメディアはこの核軍縮の逸話を相次いで報じている。

 一九八二年、米メーン州のサマンサ・スミス=当時(10)=はソ連書記長に就任したばかりのアンドロポフに手紙をしたためた。欧州の核弾頭配備を巡って米ソが対立を深める中、何もできない自分が歯がゆくて。

 「拝啓アンドロポフ様 あなたは戦争に賛成ですか反対ですか」「神様が世界を造ったのは皆が平和に生きるため。戦争のためではありません」

◆必須だった軍縮 渡りに船

 手紙はソ連共産党機関紙プラウダが翌年に掲載。アンドロポフは同年、サマンサに手紙を返した。敵国の一人の少女のため、東側陣営の最高権力者が筆を執ったことに世界中が驚いた。

 返信は「あなたの質問は人間にとって最も重要なものの一つ。真剣に、誠実に答えたい」と始まる。

 核について「瞬時に何百万人をも殺す恐ろしい兵器」とし「わが国は核使用を望まない。決して、決して先制攻撃しない」ときっぱり。さらに「核兵器の生産中止と、世界中の核兵器を廃棄するよう提案するつもりだ」と誓った。同時にサマンサをソ連の夏のキャンプに招待した。

 当時、米国との泥沼の軍拡競争でソ連は財政危機だった。経済再生に向けて軍縮が必須と考えていたのがアンドロポフ。西側の少女からの手紙は「渡りに船」で、軍縮の意志を内外に示すのに好都合だった。

 元プラウダ紙部長のウラジーミル・グバレフ氏(81)は「サマンサの手紙は絶妙のタイミングで届いた」と語る。

 アンドロポフは八四年に病で、サマンサも八五年に飛行機事故で世を去ったが、二人の手紙は実を結ぶ。米ソは八七年、中距離核戦力(INF)廃棄条約に、二〇一〇年には米ロが新戦略兵器削減条約(新START)に調印した。だが同条約の期限が来年に迫っても延長協議は進まず、核軍縮の枠組み崩壊が懸念されている。

◆核兵器削減条約 迫る期限

 グバレフ氏は「戦後七十五年が過ぎ、広島・長崎の原爆投下の記憶が世界で薄れた。核保有国は、核が実戦で使える兵器と勘違いし始めている」と心配する。

<アンドロポフ> 82年、ソ連書記長に就任。前任ブレジネフの路線を踏襲しつつ経済・人事改革に着手。米ソ軍縮交渉は手詰まりのまま84年に没した。後継者と目したゴルバチョフ氏が翌年書記長に就任し、核軍縮を進めた。アンドロポフは現ロシア大統領のプーチン氏と同じく国家保安委員会(KGB)出身。

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